2021年12月30日木曜日

仕事納2021

 だれもいない事務所で月末のやっつけ仕事

ポット洗ってしまって,コーヒーはセブンイレブンで











クーポンでちょっとお得←貧乏性


ひとりで休日出勤ってかわいそう?

たいへんだなーって思う?


実は案外嫌いではない

一人の時間がないと息苦しくて生きられないタイプなのだと思う

家でも,同じ

自分の部屋があっても,だれもいないリラックス感は異なる



青天ロス

 歴史は好きなので大河ドラマは毎回視聴している

実はあまり期待をしていなかった「青天を衝け」


いやいや,傑作ではないか?

渋沢栄一もキャストもあまりピンとこなかった

しいて言えばとっさまくらい?(主人公の親父は要注目)


で,勝手に名場面

まずは平岡円四郎

一橋に上がって給仕をする場面


惚れました


殿にごはんのよそい方を教わるというなんとも不可思議なシーン

尽未来際,などとおおげさなという感情はこんな日々の積み重ねが生み出すのだ


次はお千代

こちらは西郷どんの笑わない嫁も秀逸だったが主役の嫁御寮はどうかなと思っていた

美男美女が史実を追うだけのドラマにならなかったのは,この方の佇まいも大きいと思う


印象深いのが施設でこどもに裁縫を教える場面

針を刺した子供に泣いていい,と言う

ここ,セリフなしで視線を動かす表情の演技が引き込まれた

何も言わなくても,気づく

泣いたら厳しく叱責される

それでもお千代は,泣いていい,大人でも痛い,と言う

聡明な日本女性の理想像ではないか!


つよぽんの徳川慶喜は本当によかった

ワンシーンを選べない

モッくんもよかったけれど








年内最後のブログが,こんなしょーもない趣味ブログとは

村にいれていただいたら,アクセス増えたというのに

こんなブログにお立ち寄りいただきありがとうございました

どうぞよいお年をお迎えください



2021年12月22日水曜日

入れてもらう?

誰も読まないブログを書いて1年
こっそり始めたTwitterにはいいね!もコメントもいただくのに,こちらは丸坊主

いいんだけどね
気楽で
言いたいこと思いついたこと書き散らして脳内を掃除してるわけだし

でもさすがにさびしくなってランキング参加なんて考え始めた
さて,カテゴリーどうしよ?

しょーもないことで悩み中

2021年12月20日月曜日

月遅れ

 月命日に墓参りに行った。

毎年11月の命日付近でかれこれ四半世紀欠かさず行く。

今年は老親の入院のバタバタで行く気力もなく,ようやく実現。晴れてウォーキングにもよい気候。陽射しがまぶしくてサングラスを用意したのは正解だった。


老親の件で疲れ切っていたと思っているのだが,意外に歩けた。こんなに近かったっけ?と思うくらいである。道路の整備が進んで歩道が広くなっていたことも大きい。

花を手向け,語りかける。

老親をクリニックに連れて行ったとき,誰かうろついていたけど,迎えに来たの?追い返しに来たの?いつか迎えに来るんだろうけど,できるだけ穏便に頼むよ。

先月,身内が来たときの花がまだ生きていたので捨てずにおいた。水は凍っていた。道すがら久しぶりに霜柱を発見。ザクザク踏んだ。


で,最大の目的はこの後のランチ。これがあるから歩けるのだ。今回は焼肉きんぐ!初訪問だ!混んでいて入れなかったらしゃぶ葉と両方のクーポンも用意してある。幸いすんなり入店。安いコースだがたらふく食べた。タレの味がきつくなくて,クセも少なくパクパク食べられた。来年も焼肉かな。

というのはここ,自宅から徒歩45分ほど。食後の運動にはよいのだが,空腹では歩けませんな。墓参りの口実がないと。

2021年12月19日日曜日

介護とは3

さて,前置きが長くなったが,タイトルの内容はここからである。

想定内とはいえ,体力は元通りではない。
平日午後,小春日和にヒマなどと,リタイアするまでありえない。
とりあえず近所に買い物に行こうか?と提案した。

退院に備え夕食の食材は買ってあったが,翌朝のパンがない。
好みが違うのと,自分は小麦粉摂取を減らしている・某大手メーカーに
対する不信・不満(品質よりも会社に対して)がある。
老親用は自分とは別なのだ。

杖を片手に,のそのそと外へ出る。
これが思っていた以上に難航した。
スーパー内は問題ない。カートが補助具代わりになるのだ。
隣と言ってもいい距離だが,帰るころには杖にしがみつくような歩き方。
付き添いも忍耐である。

初日はこれでぐったり。週末になると少し改善。
マンションの入り口あたりまでなら,まずまずの歩行。
そうして本当に少しずつではあるが,杖をお供にリュックを背負い
買物兼リハビリの日々。
通院も近所は徒歩,場所によりタクシー。

脳梗塞の後遺症としては軽症の部類だろう。
自立して生活しているだけでも十分と考えるべきだろう。

しかし,入院と後遺症で体力が低下し,麻痺もある。
怪我のリスクもあり,無理はさせられない。

しかしおそらく介護認定は無理だろう。障碍者手帳も交付されない。
要支援1でも認定されれば公的な援助を受けやすい。
実際には家族の支援があっての自立生活なのだが,基準を満たしてはいないだろう。

この程度でも,仕事をしながらの家事支援。
一人暮らしなら自分のペースだが,老親に合わせるというストレスもある。
介護生活というにはあまりにも低レベルなのは承知だが,
自分のこころと身体を守りたい,とも思うのである。

介護とは2

さて,無事に入院し,点滴による治療開始。
入院時の説明では約2週間の見込み。

脳梗塞って2週間で退院できるの?と思ったが,当然個人差はある。
後遺症の程度により退院➝リハビリテーション病院転院のコースもある。
ちなみに入院先の道路を挟んだ向かい側にリハビリテーション病院がある。

そんな話を聞き,平日対応の書類を用意し翌日は半休取得して病院へ。
着替え・タオルなど大荷物を抱えて,久しぶりのバスに乗る。

もうリハビリ始めてる!
病室も救急搬送対応の部屋から,別の部屋へ移動。
補助具につかまり,療法士に支えられて立っている。
車椅子ではなく歩いてトイレに行くのが最初の目標。

荷物を片付け,制限時間もあるので,この日はこのへんで。
が,肝心の充電器を持っていくのを忘れた。申し訳ない。
それでも残ったバッテリーでのんきなメッセージを送ってくる。

もう治ったみたい
おかゆ食べた
退院するときの服を持ってきて

おい。
早過ぎないか?

幸い上司は快く早退して病院に行くようにと言ってくれた。
ただし「仕事の都合をつけて」好きなだけ早退してよい,と宣う。
えーと,会社でも家でも倍速モードでやれってことかな?

まぁ,よい。許可を得たので早退して行くよとメッセージ送信。
するとシャワー使えるようになった,と。
え!?んじゃバスタオル持っていかないと!
お風呂はすぐには無理だから,後でよいと看護師から言われていたので
用意してなかった。さらに退院時の着るもの?
さすがに退院はもう少し先,せっかちだから~と返信。

この調子で順調に回復し,リハビリ。
面会は2人まで30分の制限有りだが,ワクチン未接種でもお咎めなし。
といっても,1人身内が日曜日(入院1週間後)にのこのこやってきただけだが。

週明けには退院の話が出た。
早っ!
トイレもシャワーもひとりで問題ないなら,そういうこと。
点滴も終わり,経口薬のみ。リハビリだけなら転院か通院だ。

12日間の入院で自宅へ帰ることになった。

介護とは1

老親が脳梗塞を発症した。

休日だったため,近所のクリニック(通院歴あり・土日診療可能)へ
付き添い,そこから救急車を手配して入院となった。

2年ほど前にも救急車のお世話になったことがある。
片足が動かないということで脳の疾患を疑ったのだ。
その際は一過性のもので,脳梗塞の予兆ではないと断定はできないが
CTもMRI検査でも異常なしの診断だった。
その後,何度か検査の結果,腰痛が原因のしびれ・麻痺と診断され
投薬治療を続けているが,軽度のしびれや歩きにくいといった症状は出現していた。

その経緯があったため,救急車は躊躇した。
だが,老親が言うには口がうまく回らない,と。
聞いている側としては,呂律が気になるほどではない。
言いにくい・機嫌が悪いなどで少々モゾモゾ話すかな?程度。

だが本人には違和感があったのだろう。前とは違うと。
午後の診察開始に合わせ出かける支度を始めた。
自分もなんとなく予感があって,水と本を押し込んだ。

本当に徒歩数分の距離だが,老親はしがみつくように
身体を引きずるように,ショッピングモールに到着し
ショッピングカートの力を借りてクリニックに到着した。

クリニックでは少々待たされたが,診察した医師は脳梗塞疑いで
CT検査。結果,なにもなかったが,疑わしいと判断し
かつて入院歴がある病院へ搬送手配をしてくれた。
その際,即治療に入れるよう点滴も入れたのもよい配慮だったのだろう。

四半世紀前に通った病院は改装・増築で迷路のようだった。
受け入れてくれた脳神経外科の医師は頻繁に入る電話対応の合間に
忙しそうではあったが,印象は悪くなかった。

冷静だった,と思う。医師・看護師は親切に対応してくれた。
いろいろ書類を書かされたり渡されたりは面倒だが,仕事で慣れている。

老親は意識ははっきりしているし会話もできる。

予感というほどではないが,命の心配は全くなく,軽症だろうとなんとなく信じていた。