思ふこと言はぬは
徒然草 第十九段 おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば 筆にまかせつつあぢきなきすさびにて かつ破り捨つべきものなれば人の見るべきにもあらず
2025年4月30日水曜日
気づいてしまった
なにがココロに重くのしかかるのか
なにがかなしいのか
しばし呆然として頭が動かなかった
時間を経て,やっと気づく
傷ついたんだ
そんなふうに思われている
そのことに
偽善なのはわかっているので,気づかれているのかもとは思う
愛は冷めても情はある
心身を削って機嫌を取っている
けれど,届かないのだ
気づかないのだ
あたりまえとしか思っていない
2025年4月28日月曜日
むなしい
音もなく,心がペシャンコにつぶれました
空気の抜けた風船のように
確かに悪かった
間違えて,大回りさせてしまった
体力も足も腰も弱った老親にはつらかったと思う
冥途の土産を持たせようと希望はなるべくかなえようと努めた
老親の足に合わせて計画し,歩き,好みに合わせて食事をさせた
自分の希望はすべて飲み込んで
報われないことに散財し体力を消耗し,心をすり減らしている
2025年4月20日日曜日
親友
友達がいなくなった
正確にいえば,友達と会う機会が無くなった
年賀状のみのお付き合いでも友達だと思っているけれど,会いたいと思っていない
どうしているか近況を知りたいとは思うのだが
コロナ騒動で気づいてしまった
元々ひねくれもので天邪鬼の性分だったのが幸か不幸か
フィクションの世界では,必ず友達がいる
たいていは親友と呼べそうな友達が
現実でもそうなの?
それって普通なの?それとも願望?
友達は要らないという著名人
でもそういう人って周囲に慕われているように見える
将来の夢は世捨て人なのだから実現に向かって生きているってことでいいか
2025年4月5日土曜日
ストレス過多
気象操作ではないかという陰謀論にさもありなんと考えてしまう
気候による不調は栄養不足も一因と聞くが,ナニかばら撒いているのでは?
すっかりいんぼーろんしゃである
さらに家庭と職場から押し寄せるストレス
倦怠感,湿疹,眩暈,身体のあちこちから警鐘が鳴る
居場所がない
逃げていい,というアドバイスも空しく響く
どこへ逃げるというのか
居場所が欲しくて求めた家なのに
花を愛で,肉を喰らい,整体でほぐしてもらい
ごまかしながら生きていく
解放されるのはいつだろう?
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